H30.10.23★ウォーターサーバー無料貸し出し★
こんにちは!沖縄の美味しいお水麦飯石の水豊見城店の新垣です。
いつも麦飯石の水をご利用頂きありがとうございます。
よく実りの秋と耳にしますが、前回の台風の後、稲を刈った後の鹿児島県産バケツの稲穂ススム君の様子を見たところ、、、あんらま~( ゚Д゚)なんとなんとどっぷり溜まった水の中から元気よく新芽が生えてきました。お水は黒黒と汚くボウフラも発生してたのですがキレイな水に入れ替えて再度育てる事にしました!稲穂の生命力の強さには感動したとともに、再び生えてきた稲穂について勉強したので読んで頂ければ幸いです♡
これは稲刈りをした後の株に再生した稲のことで、穭・穭・稲孫(ひつじ・ひつち・ひづち)と言われます。いわば、稲の蘖(ひこばえ)のことです。二番穂とも呼ばれ、稲刈り後もしくは穂刈り後に放っておくと、再び穂が出て。穭稲(ひつじいね)・穭生(ひつじばえ)ともいい、稲刈りのあと穭が茂った田を穭田(ひつじだ)といいます。
上部を刈り取られたもののしっかり根っこは生きていますからもう一度、もう一度がんばろうとしてる稲穂のススム君🌾
稲の生殖細胞の減数分裂の際の気温が約18-20℃を下回ると不稔となることがあるため、温帯以北において秋以降に生じる穭は、穂の中身が入っていないことも多いそうです。二十一世紀の日本においては、稲刈りはせず田に鋤きこまれてますが、過去においては農民の貴重な食糧源になっていた時代があります。
低緯度地方では稲孫でも中身が入るため、東南アジアではイネを一回収穫し、2,3か月してからさらに収穫する「ヒコバエ育成農耕」という農耕があります。ヒコバエが中身を入れた状態で結実する久米島、奄美大島等で、旧暦の12月に播種、1月に移植(田植え)し、6~7月に通常の収穫をしたまま家畜に踏ませ、8月~9月にマタバエ、ヒッツ、ヒツジと呼ばれる稲孫の収穫をする農耕文化があり、1945年まで行われ、与那国島で同様の農耕が1981年まで行われてたそうです。
さすが温暖な沖縄ですね!!ヒコバエ育成農耕の文化が最後まで残ってたのが沖縄とは!食べ物を最後の最後まで大事にする文化の表れですね(^▽^)/
稲穂のススム君も、雨にもマケズ、風にもマケズ、ボウフラにもマケズ、沖縄パワーを発揮してくれました👏
稲穂のススム君お帰りなさいませ~ブログでもススム君の成長経過を報告していきます~(^▽^)/
ちなみに最初刈り取った藁(わら)は、現在乾燥させてまして、正月用のしめ縄を作る予定です。小さいしめ縄になるかとおもいますが、ご利益がありそうなので今から楽しみです(≧∇≦)
そして!!今年も入荷しました。富山県産大場さんちの特別栽培米のお米🌾
大場さんが丹精込めて育てたお米です。昔、社会の授業で富山県は製薬会社が日本で一番多いと習いました。清流地だからですかね(・・?・・・お薬もきれいなお水がないと作れません。お米も同じです。新垣も一度富山県行ったことがありますが、現地で食べたホタルイカの握りがとても美味しかったです(≧∇≦)
当銘柄は昨年のギフトで大変好評頂きお歳暮も早い段階で売り切れとなりました。今年もお歳暮をご検討されてる方は早めのご予約をお勧めいたします。
★ここで沖縄県と富山県の昆布の話★
昆布と富山のクスリ売り
昆布(こんぶ)はクーブイリチー(昆布の炒めもの)や汁ものをはじめ、今や沖縄料理にかかせない食材です。沖縄の昆布消費量は全国一といわれます。しかしタイトルの「昆布と富山のクスリ売り」。それが沖縄の歴史とどんな関係があるのでしょう。
沖縄で昆布が広く食べられるようになったのは江戸時代(近世)のことです。ご存じだと思いますが、昆布は沖縄で採れません。沖縄で食べられる昆布は移入されたものです。ではその昆布はどこで採れたものなのでしょうか。実は、琉球で食べられていた昆布はエゾ地(北海道)産でした。
18世紀、エゾ地は開発が進められ、釧路や根室の沿岸で採れる昆布がニシンなどとともに北前船で出荷され、流通するようになります。昆布は日本海沿岸を通り、最後には大坂市場に運ばれていきます。そして、この昆布の流通網と結びついていたのが富山のクスリ売りでした。彼らは東北から九州の薩摩まで販路を広げてクスリを売っていました。その富山のクスリ売りが目をつけたのが、琉球が中国からもたらす漢方薬の原料です。琉球は中国から大量の漢方薬の原料を輸入していて、クスリ売りにとって貴重な漢方薬はノドから手が出るほど欲しいものでした。そこで富山のクスリ売りは薩摩を通じて、日本海ルートでもたらされる昆布を代価に琉球の漢方薬をゲットしたのです。
こうして琉球にはエゾ地産の昆布が入ってくるようになり、昆布は琉球社会に定着します。祝い事に昆布が贈り物として使われたり、昆布料理が作られたりと、生活に欠かせないものとなっていきます。さらにこの昆布は琉球国内だけで消費されるにとどまらず、中国への輸出商品にもなり、やがて昆布は琉球から中国に輸出される主要商品としての位置を占めるようになります。エゾ地の昆布はめぐりめぐって琉球へたどり着き、さらに中国にまでもたらされることになるのです。
ふだん何げなく食べている沖縄料理の昆布。実は沖縄の歴史が生んだ食材だったのです。島国である沖縄は決して孤立していたのではなく、外の世界との関係のなかで成り立っていたことがよくわかる一例です。
参考文献:真栄平房昭「琉球貿易の構造と流通ネットワーク」(豊見山和行編『日本の時代史18』)
👏👏 昆布は重宝されてたのですね👏👏琉球と富山県はお薬と昆布で交易があったのです( ゚Д゚)
↓↓今回は富山県より大きなコンテナ🚢で大場さんちの新米のお米が届きました~
美味しさピカ一ぜひともご賞味くださいませ(^^)/
お客様のご来店スタッフ一同心よりお待ち申し上げます(^▽^)/