令和4年10月18日 ★ウォーターサーバー無料貸し出し★
こんにちは!沖縄の美味しいお水麦飯石の水津嘉山店の新垣です。
いつもご利用頂き本当にありがとうございます。(^▽^)/
↑儀間真常さんの本・・・琉球の歴史を学んでる方から頂きましたが、読めない字ばかり(笑)
とても麻氏に誇りを持ってる茶道教室でご一緒の渡嘉敷さんへプレゼントしました📚
涼しくなると温かいお茶が一段と美味しくなります。
もちろん麦飯石の水のお湯も常に80度~90度と温度ですので
お茶やコーヒー即席ラーメンに大変お勧めです☕ 🍜
只今、麦飯石の水では30日無料お試しキャンペーンやってます!
一家に一台。冬場でも大活躍間違いなし!麦飯石のウォーターをぜひご家庭にも!
こんにちは!新垣は一週間お休みしてボランティア活動真っ最中!那覇市におります😊
皆様は自分の家のルーツって知ってますか?私は30歳になるまで一切知らず、歴史マニアの方がある日、
『あなたの家の名乗り頭って何?』と意味不明な質問・・・・を投げかけてきたので
家に帰って母に聞いてみたら
『何でこんな事聞いてくるの?あんたには教えたくないけど、母方の那覇の亡くなった祖母だけは心がきれいな神様にも仏様にもなれるような素晴らしい人。儀間家の人だよ。戦前は【現在の那覇軍港の中】那覇市住吉の名家の儀間製菓の人だったよ。でもお嬢様育ちではなく働き者で質素な生活を送った苦労人。儀間真常のお墓の近くに住んでたんだよ・・・山之口獏さんのお母さんも儀間の人で、お祖母さんと獏さんはいとこだったんだよ。でもお前は儀間の人間の生き方をしてない。儀間の血が流れてると思えばありがたくそのような生き方しなさい。そうじゃなければ儀間の血が流れると絶対に言うな!それ以上知りたかったら自分で調べてこい!』と・・・・???
儀間・・儀間真常・・山之口獏・・初めて聞いた祖母のルーツ。何もかも初めて聞いてビックリしたので自分で祖先がどういう人だったか調べ始めました。
★儀間真常とは★
儀間真常(ぎましんじょう) 麻(ま)氏一族 今の南城市玉城垣花から派生した一族
儀間真常は、1557年に那覇市垣花(かきのはな)生まれ
1593年に真和志間切儀間村の地頭に任じられ、1624年に親方に叙せられ、1644年88才で没しました。もとの墓は、住吉町にありましたが、戦後アメリカ軍の港湾施設として接収されました。
真常は、1605年に野国総官(のぐにそうかん)が中国からもたらした甘藷(サツマイモ)をもらいうけてその栽培普及に力を注ぎました。また1609年の島津侵入後、捕虜となった尚寧王につき随って鹿児島に赴いた際、木綿の種子を沖縄へもち帰って、その栽培方法と木綿布の織方を広め、さらに中国から砂糖製造の技術も導入して国中に広めました。これらの功績から、『沖縄の産業の恩人』と称されています。
真常は、琉球の人々のために精神的指導もおこなってました。
それは当時日本で最先端仏教だった浄土思想の普及です。
1603年(慶長8年)、日本から一人の僧侶が琉球にたどり着く。浄土宗鎮西派の名僧・袋中良定上人(1552-1639)である。“未渡の経典”を求めての明国行きの船が国際情勢から入国を拒否されたため
しかたなく袋中上人は、那覇の久米村近くに桂林寺(現・那覇市松下町)を建て、そこに3年間滞在する。かれは琉球の地で浄土思想の布教活動をおこない、尚寧王をはじめとする多くが上人に帰依する。真常もそのひとりでした。ちなみに上人が伝えた「踊り念仏」は琉球の地に定着し、あの沖縄の伝統文化「エイサー」へと発展していきました。
浄土の実現のため、多くの人々を救う手段として「甘藷の普及」に取り組り組み、真常のめざした「浄土」とは「民が飢えない」ことだった。真常は袋中上人から浄土の教えを受けるや、琉球の人民の飢餓からの救済事業に本格的に乗り出していったのである。
儀間真常さんのような立派な人になれるよう日々努力いたします✊
そして儀間の血を引く山之口獏さんについて琉球新報さんや沖縄タイムスさんの記者が執筆した
などで文献などで調べました。詩集も好きですがルーツを知るには必要な本ですね。
最後!!!!一番びっくりしたことがあります。豊見城店でお客様の儀間様と儀間一族について話してたら、
『自分の家に儀間家の『家系図』があるから今度持ってくるね!』
お借りした物!それはなんと祖母の兄・・儀間真一おじさんという方が戦後作成した家系図でした!!
今でも門中の集まりなどがあると聞いて羨ましくなりました。
私の母は何も教えてくれないので、お空からのお告げだったかもしれません。
この時、本当に麦飯石の水の入社してよかったと思えました!
さー高生まれで辛く苦しい経験もいっぱいしましたがこの時ばかりはさー高生まれである事に感謝しました( `・∀・´)ノ
確かに儀間家から山口家に嫁いだ獏さんのお母さんの名前がありました!
歌手ののスッピツ草野さんも尊敬する沖縄出身の詩人山之口獏さんは同じ一族でした👏👏👏
立派な家系図を作成し沖縄の『麻氏』さんに配ったそうです。
会ったことのない叔父・・・でも母から・・・儀間のおじさんも人格者だったとよく聞いてます。
儀間のアイデンティティを忘れず、お空から見守ってる方がたくさんいると信じて最後までボランティア頑張ります✊
母が教えてくれた儀間の血筋を引くものがやるべきことは今やってるボランティア活動だと悟りました!
母の戸籍は住吉ですが育ちは松川。私も半分は那覇の人間なので那覇の方へ恩返しできるよう頑張ります✊